分かった時には勝負は決まっているという話

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4月以降いろいろ忙しくてニュースを細かくフォローできていなかったが、だんだん状況が落ち着いてきて何が起こっていたかが明らかになってきている。事実が明らかになるごとに騒いでいる人が(特にネット上で)がいるけれども、「現在進行中の危機」と「過去起こっていたこと」は分けて考えた方が良いと思う。

直近では一号炉の燃料溶融や水漏れが明らかになったが、これらも前から起きていたことだ。これまで空気中や付近の海水中の放射線量は継続して測定されており、外部への影響はここでカバーされている。中で起こっていたことが明らかになったからといってリスクが増えるわけではない。

既に原子炉停止から2ヶ月が経過していて、崩壊熱の発生も初期と比較すれば大分落ち着いてきている。安定化に向けた体制も大分改善されているので、当初と比較すればリスクはかなり減ってきている。

いろいろ煽る記事も多くて不安になっている人もいるかもしれないが、冷静に判断すべきだと思う。

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これと関連して、今後の教訓としてもう一つの視点を。

3月11日から現在までを振り返った場合、東京において空気中の放射線量が最も高かったのは3月15日(火)の昼だった。14日の夜に何らかの大量放出が起こり、それが北風にのって15日昼前に東京到達して一時的に放射線量が平常値の4倍(80CPM)まで上がった。観測されている大量放出は実質的にこれのみだ。要するに、東京が一番危険だったのは15日なわけだ。

放射能リスクが怖くて東京を離れましたという人は外人をはじめとして結構な数いるけれども、15日以前に行動を起こした人はそう多くはない。ほとんどの人は、一番危なかった東京を経験した後、手間をかけ不便な思いをして「疎開」をしたわけだ。しかも海外に逃げた人は航空機搭乗で余計な放射線を浴びたわけで、全くご苦労な話だ。

でも、他人を笑ってもいられない。

自分は結果的に避難しなかったが、その結論を出したのは15日以降の話だ。リスクをしっかり認識し、それに対応できていなかったという点では一緒だと言える。

3月15日以前の段階で原発問題は確かに不安だったが、震災の被害や計画停電などの問題もあってやや注意が分散されていた。でも、現在進行中の危機は原発問題だけだったのは当時でも明らかであり、もっとそこに注意を集中すべきだったかもしれない。時間はあったのでいろいろ調べられたし、チェルノブイリの事例や原発事故評価スタディなど、当時でも調べられたことは多かった。

危機対応というのはスピードが勝負だ。何が起こっているか分かった時には既に遅い、ということも多い。いざ事が起こった時に、素早く意識(常識)を切り替えてメリハリをつけたリソース投入ができるかが重要。

考えてみたらこれは企業業績悪化やトラブルへの対処でも共通するポイントだ。仕事柄こういう点はわかっていたはずなんだけど、状況が変わるとうまく応用できないものだ。

今回の経験を良い教訓として、自分自身の危機対応のあり方を改めて考えようと思う。

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