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原発関連を中心に様々なデマが飛び交っている。デマでなくても、読んでいて首を傾げるような論評も多い。そうは言っても冷静に考えれば分かるだろうと思っていると、それをそのまま信じている人に出会ってびっくりすることもある。
ただ、考えてみるとこういうことは構造的に止むを得ない面もあるのかもしれない。
良い記事というのはそれなりに手間がかかる。いろんな事実を比較し、客観的な見地から分析をして、合理的なロジックを組んでいかなければならないからだ。一方で、思い込みで各記事は「検証」というプロセスを飛ばしていけるので構造的にリードタイムが短い。しかも思い込みというのは基本的に本人に内在するものだから、全ての人がどんなテーマででも書ける。だから、思い込み記事の方が常に迅速かつ大量に出現する。
思い込み記事というのは強い思いに基づいている。正義感、現状への怒りや憤り、あるいは将来への不安。思い込み記事というのは本質的には感情を吐露した叙情詩だから、中立的・客観的な見解よりも人の感情に訴える。なまじ文才ある人間が書くと余計に心に響く。いかに間違った見解でも発端となっている感情自体には悪意はないので始末が悪い。
話の構造で言うと、思い込み記事は基本的に善悪の二元論でものごとを整理するのである意味非常に分かりやすい。現実の世界では、悪者にも良いところはあるし、善人も間違いを犯す。また、意思決定にあたってはいろんなトレードオフを斟酌しなければならず、難しい判断ほど状況は複雑なもの。でも、こういう話は分かりにくい。
結局のところ、どうやっても思い込み記事の方が多くなるのだ。そういった記事にいちいち反論してもキリがないし、記事の書き手を批判しても次から次へと出てくるから本質的解決にはなり得ない。
結局、読み手の側が冷静に受け取り、しっかり考えてゆくことが重要なのだと思う。
声が多いのが正しい意見とは限らない。事実や数字に基づいていれば正しい、というわけではない。感情的に共感できても、ロジックまで正しいとは限らない。
この様なちょっとした注意をしっかり行ってゆくだけで随分違うはずだ。
日本は民主主義の国だから多数派が国の方向を決めてゆく。大量発生する「思い込み記事」に読者である我々が流されてしまうと、全体の意思決定にまで影響を及ぼすことになる。
政治が悪い、メディアが悪いと言う前に、まず自分のことをしっかり正しておきたい。