パンツを盗られた話

(読了時間=約 3 分)

生涯に一度だけ、パンツを盗られたことがある。

前職のゲーム会社では定期的に役員合宿みたいなものがあった。伊豆にある小さい旅館を借りきって、リラックスした雰囲気で集中的にいろんなことを話合う。土日はつぶれるけれども、日常と異なる環境で、温泉に浸かりながらじっくり話ができるのは中々よかった。

ある役員合宿の時、私と取締役の久○さんがたまたま一番乗りで到着した。社長も常務もまだ来ない。しばらく部屋で座っていたが、退屈なので温泉でも入ってましょうかという話になった。

二人で浴衣に着替えて露天風呂に向かう。昼間、静かな旅館の温泉にのんびり浸かるのも悪くない。しばらくして久○さんが先に上がるというので、一人でもう一度湯に浸かり、ゆっくりしてから脱衣場に戻った。

脱衣場に入ると久○さんはパンツ一丁でドライヤーを使っていた。それを横目で見ながら自分の脱衣かごのところまで行き、身体をバスタオルで拭いて服を着ようとした時に異変に気づいた。

パンツがない。

ふと振り返ると、久○さんがドライヤーをしている。男の場合、ドライヤーする時は鏡の前に仁王立ちだと思うんだが、彼の場合は何故か椅子に座っていた。膝を揃えて丸椅子に座り鏡に向かってドライヤーを使う姿がちょっとお母んみたいだと思いつつ、その臀部を包む下着のところで思わず視線が止まった。

私のパンツだ。

下着の柄に見覚えがある。
彼がどんなパンツを履いていたかは覚えていないが、その柄は少なくとも私のパンツのそれに限りなく近いように感じられた。

どうして?

その時実感した。人間は異常な事態に直面すると、混乱するのだ。論理的に考えれば彼が私のパンツを履いていることは間違いないのだが、その事実を受け止めることができなかった。

脱衣かごをもう一度さぐる。
やはり、パンツはない。
久○さんの方を振り返る。
彼の臀部を包むパンツの柄には、やはり見覚えがある。

・・・・

もう一度脱衣かごのところからやり直してみよう。

三度、同じ確認を繰り返した。
しまいには、「あれ、おかしいなぁ・・」とつぶやいたりして小芝居まで打った。

でも、事実は変わらなかった。

どうして?

心の中でもう一度つぶやいた。
彼が私のパンツを履いているのは事実だとして、
それは過失なのか故意なのか。

そもそもこんな過失は起こり得るものなのだろうか?
私は脱衣場でカゴを間違えたことなんてない。そもそも客は二人だけなのだ。万一間違えたとしても、パンツを手に取った時に普通気づくものじゃないのか?

そう思いながらまた彼を見る。
椅子に座って髪を乾かすその仕草は、そこはかとなく女性的だ。
私のパンツを履いてそんな仕草をするのは何の意思表示なのだろうか。

過失なのか恋なのか。

会社は既に上場して1年が経過している。
二人とも上場会社の役員だ。会社四季報を開けば名前が掲載されている。
それがこれではまずいだろう。

いや、そうじゃなくって。
上場してなくてもそれは嫌だ。当たり前だ。

一旦停止した私の思考は、事実を直視した直後からめまぐるしく回転していた。でも、考えていても始まらない。この事態に対して踏み込まなければならない。

私は恐る恐る彼の背後に近づき、声をかけた。

「あの、久○さん」
「はい?」
「そのパンツ、私のじゃないですかね?」
「えっ?」

下を見た彼ば心底仰天した様子で叫び声をあげた。

「ああっ!! こ、、これはっ!! 失礼しました!!!!」

慌ててドライヤーを止めて立ち上がり、その場でパンツを脱ぐと、俺に向かって差し出した。

全裸になり、申し訳なさそうにパンツを差し出す久○さん。

この絵は嫌だ。
あんたのそんな姿、できれば見たくはなかった。

というか、どう答えたらいいんだろうこういう場合。

ちょっと止まっていると、彼がまた申し訳なさそうに言うのだ。

「あの、いや、、、ホントにごめんなさい」

全裸のまま右手でパンツを差し出す久○さん。
ちなみに私もパンツを履く前なわけだから当然全裸である。

上場会社の役員二人が、伊豆の旅館で全裸で向きあってパンツの受け渡しをしている。客観的に記述するとそういう状況だ。

まぁでも、故意でなくて良かった。
恋でなくて、本当によかった。

「いや、いいんですよ」

この場で適切だったかどうかわからないが、
私はそう言ってパンツを受け取った。

で、なに。
私はこのパンツを履くわけですか。ここで。

何のエール交換だよ。

でも履かずにいるのも何だか変だ。昼間ちょっと温泉浸かるつもりで来たのだから、替えのパンツなんて持ってきてない。

履きましたよ。仕方なく。

でも何となく全部しっかり履くのは抵抗があった。
久○さんの履いてたパンツだ。彼の股間に接していた布なのだ。
それを自分の股間に触れさせることに強い抵抗感を覚えた。

風呂上りなんだから綺麗なはずじゃないかって?
いや、それは違う。断じてそういう問題ではない。

だから、八分履きというか、ローライズな感じというか、とにかく布と身体との間に少し空間が開くように履いた。

でも、そういう自分の行為が何となく久○さんに対して失礼になるような気がしたので、彼にばれないようにさっと浴衣で覆い隠し、速攻で帯を締めると、「お先に」と言い残して脱衣場を出た。

薄暗い廊下を走り、急な階段を一段飛ばして駆け上がったのを覚えている。

客室に戻った私は、すぐに荷物から新しいパンツを出して履き替えた。新しいパンツの感触は凄く心地良かった。何かこう、守られている、という感じがした。
パンツは大事だ。

ようやく全ての問題が解決したと確信した私は、小鳥のさえずりが聞こえる静かな旅館の客室にへたへたと座り込み、ふーっと安堵の溜息をついたのでありました。

故意でなくて、ほんとうに良かった。

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