パンツの件 (後日談)

(読了時間=約 2 分)

パンツを盗られた話には後日談がある。

当時、会社では、毎朝「朝礼」というものがあった。

社員が50名程度の会社なので1フロアの大部屋に全員が入っている。それを自席のところで起立させて、社長がちょっと話をするのだ。そして社長の後、役員が順次話をするのが通例だった。

話というのは、ビジネスの話や連絡事項もあるが、経営哲学やビジネスに関連した訓示のような話も多かった。社員が若いのでそういう形での教育するという趣旨もあったのかもしれない。

ただ、毎日する話でもあるので時には笑い話的なことを言う役員もいて、社員の笑いをとったりしていた。

でだ。

私は、パンツを盗られた体験談を話したくて仕方がなかった。
朝礼で、みんなに報告したかった。

これは、ごく普通の欲望だったと思う。生理的欲求と言ってもいい。

勿論、あの事実を知らない他の友人に話すこともできた。
それでも十分面白い話だったと思う。

でも、本人を知ってたら、もっと面白い。

久○さんは、私と同じく大企業からの転職者で、しかも総務人事畑なのだ。風貌や性格も所謂そういう感じの人なのだ。

例えば、営業担当の常務は、破廉恥キャラを使いこなしているようなところがある人だったので、例えば常務がパンツを盗ったといっても、それだけでは大したニュースにはならなかっただろう。

でも、久○さんなのだ。他ならぬ久○さんなのだ。
これはニュースだ。

しかし、問題があった。

朝礼には、久○さん本人も出席してるのだ。

いくらなんでも、本人の前でそれは失礼だ。
さすがの私もそこまではできない。

ところがある日、久○さんが何かの用事で出張に出てしまって朝礼を欠席することになった。

時は来たれり。

しかもその日は、社長も不在だった。
シモネタが嫌いな社長がいなかった。

なんたる幸運。

宗教に興味ない私だが、この瞬間は、神の存在を確信した。
私の欲求云々の問題ではなく、神がそれを望んでいる。

私は、話さなければならない。
神に遣わされた語り部としての役割を全うしなければならない。

本気でそう思った。

幸運とは続くものだ。

当日、常務が話をしたのだが、そんなにテンションの高い話ではなかった。
お笑いの尺度で言えば、「ややウケ」程度だ。

時は来たれり。

私は、マイクをとって一呼吸置いた後、その話を始めた。

よく、舞台俳優が、観客の反応が感じられる舞台の楽しさを語ることがある。
あるいは、生活に苦労しながらも努力してお笑い芸人となり、吉本劇場でウケた時に感じるであろう高揚感。
私は、その感覚が分かった気がした。

50人もの人が一斉に爆笑したその空気は、笑いの圧力となって私の顔と身体の前面に押し寄せた。
「笑いに押される」感覚というものを本気で感じた。

これはすごい。

ある意味、今回の話は同僚を売った行為だ。
同僚の恥ずかしい話を一番話してはいけない人たちに話しているわけだ。
全ては笑いを取りたいがために。
そしてそれは成功した。

同僚を売るのは、いけない行為なのかもしれない。
久○さん、ごめん。

でも、後悔はしていない。

だって、みんなこんなに笑ってるし。

ふと横を見ると常務も腹を抱えて爆笑していた。
その背後に、空席になっている久○さんの席が見える。

主のいないその椅子も、心なしか笑っているように見えた。

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