(読了時間=約 2 分)
映画「ソーシャルネットワーク」を見てきた。
予想通り面白くてかなり満足。
ただ、自分にとってのツボは他の人とは若干違うかもしれない。
というのも、エドゥアルド・サベリンが他人事に思えないのだ。
私は前職でゲーム会社の役員をしていた。当時はベンチャーの成功例の一つと言われた会社で、自分の役割は今で言うCFOだ。創業社長の牽引の下で新規事業が立ち上がる中、経営企画としてサポートをしてゆくけれども、事業拡大が加速をし、外部の様々な「ブレイン」が関与するようになってくると、時々自分抜きで物事が進み始めていってしまい焦ることが多かった。
この映画を見ているとその頃の記憶が蘇る。
会社のレベルは全然違うのに、一つ一つのエピソードに妙な既視感を感じる。
感情移入してしまう自分をとめられないし、それが実に心地良い。
で、思うのだ。
何やってんだよエドゥアルド。もー。
そもそもエドゥアルドは創業時に金を出しただけだ。CFOということになっているが、CFOらしい仕事は何一つしていない。金を出していると言っても自分の貯金だからこれはCFOの仕事じゃない。使う方はマークが勝手にどんどん使ってしまい、まるで管理できていない。人員獲得も含めて会社の形をつくるところにも全く関与していない。広告営業に遁走したが結果はゼロ。これでよく共同経営だと言えたものだ。
マーク・ザッカーバーグの才能は間違いなく非凡であり、facebookの事業アイデアからその実装まで一人で牽引しているのだから彼抜きでfacebookは成立しない。一方、エドゥアルドといえば、ハーバードの学生なので一般よりかなり能力は上だろうが、彼クラスの人間ならそれなりの数いる。唯一無二の価値を持つ創業社長と比較すれば、取替可能な部品でしかない。勿論、能力を活かす余地はあるし、創業時からの信頼関係といったものもあるので取り替えは容易なものではない。しかし、自分に確固たる地盤があると考えるのは間違いだ。常に競争にさらされ、時には負けることもある。そういう事実を認め、自分の力不足に向き合わないといけない。
それができずジタバタするエドゥアルドが痛々しくて見てられない。
口座凍結するなんて馬鹿じゃないか。
全く成果が上がっていなくて居場所がないように見えても、エドゥアルドは必要な人間だった。マークは先を走りながらも、何度もエドゥアルドに対してこっちへ来い、乗り遅れるなと言い続けていた。目の上のタンコブに感じていたショーン・パーカーも結局トラブルを起こしていなくなった。もうちょっと我慢して会社にいたら、またCFOごっこができるようになっていた可能性もある。そうすれば、最初は学生上がりの素人でも、実務経験を積む中でfacebookとともに大きく成長し、本物のCFOになることができたかもしれない。
馬鹿なことしたよなぁエドゥアルド。
でも、20代前半なんだからしょうがないか。しかも、本人はハーバード大学のエリート、相手は同級生のオタク学生、という状況では、事実を受け入れるのは難しかったかもしれないね。でも訴訟して和解金たくさん貰えたようだから結果的には悪くはなかったと言うべきなのかな。
などと、映画終わってからもいろいろ考えてしまいました。
多分、制作意図とは大きくズレているのだと思うけれども、これが私の感想でございます。
ちなみに原作は「フェイスブック 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男」(ベン・メズリック)という本で私は昨年夏に読みました。最近もう一冊出たみたいなので一応両方お勧めしますけど、よほど好きな人でもなければどちらか一冊で良いんじゃないかと思います。